税務署にルールを守らせる

 税務調査は行政手続きとして行われます。そして、個別の調査について現場の調査担当者である上席調査官、調査官、事務官が行いますが、指揮命令を行い調査の結論をだすのは統括調査官です。しかし、彼らも署長によって管理されており、成績を管理されています。そうした環境の下で、残念ながら、行き過ぎた調査が行われている場合も少なからず見受けられます。

 そこで、調査に立ち会う税理士が不当な人権侵害や彼らの無用な資料収集、違法な調査を納税者とともに監視し、問題があれば直ちに現場で指摘し是正させる必要があります。

 その場合依拠すべきはまず法人税法や所得税法等の国会で議決され公布された法律です。このことを租税法律主義といいます。これは日本国憲法第30条で規定されています。

日本国憲法

 第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

法律によることの意味

 法律は国会で議決されます。国会は国権の最高機関であることはに憲法第41条に規定されています。そして、国会議員は全国民を代表する選挙で選ばれた議員で構成することになっています。これは憲法第43条に規定されています。

 ただし、憲法で決まっているということだけでは租税法律主義の意味を税務調査といった場面で具体的行動に結び付けるのは難しく、やはり、議会制民主主義の歴史を理解することが需要だと考えます。議会制民主主義と言えばやはりイギリスですので、イギリスにおける議会の歴史を遡って見ます。

マグナ・カルタ 1215年6月19日

(the Great Charter of the Liberties)

 フランス貴族アンジュー伯アンリが1154年イングランド王ヘンリ-2世となり、イングランド王はフランスに広大な領地をもつこととなりました。1203年、フランス王フィリップ2世がフランス国内のノルマンディー、アンジューにフランス軍を侵攻させ、イングランド王ジョンはフランスの多くの領地を失うこととなりました。さらに1214年、ジョン王はブーヴィーヌの戦いでフランス軍に敗れました。これらの過程でジョンは度々貴族に臨時の課税を行い、さらに敗戦後にも課税を行ったため、貴族に強制されてマグナ・カルタにジョンは承認させられました。

シモン・ド・モンフォールの議会 1265年

 その後、マグナ・カルタを無視しての国王ヘンリ-3世の課税が度々続く中、

シモン・ド・モンフォールは貴族を組織して反乱を起こし、1264年12月従来のバロンなどの上流貴族階級に加えて、各州から 2 名の騎士、そして各自治都市から 2 名の市民が召集され、1265年に会議が行わました。これがイギリス議会の源流とされています。

課税の制限が議会を形成

 このように、課税の制限が議会を形成することになったわけですが、議会が決める法律によってしか課税出来ないということに繋がって行きます。従って、法律以外によって課税することは出来ず、政令(閣議決定)や規則(省令)では課税することは出来ません。(但し法律によって委任された場合は別です。)

事実認定

 但し、法律を決めただけでは、何が課税かを具体的に決めることは出来ません。例えば、ある費用が損金になるかどうかは事実認定と法律へのあてはめ(解釈)が必要になります。この事実認定と解釈を巡って、現場で意見が分れることとが多々あります。税務調査官は彼らの事実認定解釈を示し、沢山課税しようとします。しかし、その事実認定と解釈が正しいとは限りません。そこに税理士といった専門家の存在理由があります。

基本的人権

 マグナ・カルタの主な条文は以下です。

  第1条 教会は国王から自由である
   第12条  王の決定だけでは戦争協力金などの名目で税金・軍役代納金を集めることができない
  第13条 ロンドンほかの自由市は交易の自由を持ち、関税を自ら決められる
  第14条 国王が議会を召集しなければならない場合
  第38条 自由なイングランドの民は国法か裁判によらなければ自由や生命、財産をおかされないとした

 これを見ると、課税の制限と同時に議会の招集や基本的人権についての条文もあることが分ります。

不法な財産権の侵害事例

国税通則法の改正

受忍義務の実質

内部ルールからの逸脱

行政の透明性確保

東京国税局情報開示請求結果

下記は東京国税局への情報開示請求に基づいて入手した情報です。

事務実施要領(個人課税)


事務提要